脳内出血の発症

2009年10月4日
脳梗塞・脳内出血には予兆があると言われますが、当時は気が付きませんでした。
あとから考えるといつもと違う行動がありました。

夕方18時30分ころ私が仕事から帰ってくるのと、妻が愛犬の散歩から帰ってくるのとが玄関前でいっしょになりました。
妻は玄関前に愛犬をつれたまま立ちつくし動きません。私が機材を入れるのを待っているのかと思いましたが私の作業は時間がかかるので「先に入って!」と声を掛けても妻は動きません。再三言っても動かないので少しきつい口調で「先に入って!!」と言うとやっとやっと入りましたが今思うと歩きも鈍かったように思います。
私は機材の片付けに気を取られ、妻のことに無関心でそのあと焼酎を飲んで部屋で寝てしまった。妻が居間で食事をしているかのような音を聞いたのが記憶に残っています。

思えばそのあとに発病したのではないかと思います。


23時ころ目が覚めて居間を覗くとテレビがついていて妻がソファーに寝ていました。テレビを消してそっと蒲団を彼女に掛けました。
それまでは目を覚ますことが多かったのでちょっと不審に思い顔をよく見ましたが熟睡しているように見えたので電気を消してそのままにしましたが、多分その時すでに発症していたのではないかと思います。

2009年10月5日

私は部屋でパソコンで遊んで過したため朝目覚めたのは9時ころでした。居間に妻の気配を感じないので見に行くと昨夜の姿のままソファーに横になったままなのではじめて異変に気付いたのでした。
脳梗塞」が頭に浮かび大声で「どうしたの?」と何度も叫び身体をゆすると、薄目を開け左手を少し上げただけで動きません。

気が動転してどうしたら良いか判断がつきませんでした。

娘に電話しようとしましたが変更した番号が私の携帯になく、妻の携帯電話を見ればよかったのにそのことにさえ気付きませんでした。
どうでも良い歯科医の予約取り消しの電話などをして、救急車を呼ぶのが後になってしまったのです。

救急車はすぐに来てくれ、妻の持病の心臓病でかかりつけの九州厚生年金病院へと運んでくれました。

妻は脳内出血をおこしていて出血の多い後頭部に穿孔で血を抜くということで夕方になってその手術が行われました。
しかし、血が固まっていて取出せない状態だったという説明があり、明日前頭部に孔を開ける手術を行うことになりました。

2009年10月6日
翌6日も手術は夕方になりました。脳溢血は発症から5時間が分かれ目と言われているのにもう丸二日近く経過しています。正直、命も危うい、よくても植物人間になるのではないかと思いました。

前頭部の穿孔からドレインチューブで髄液を出し脳圧を下げる処置が1週間程度続きました。

     (写真は手術室から病棟に移ってからのもの)

手術後数日は人工呼吸で動く呼吸以外は身体のどこも動かない状態。
数日後に目を閉じたままですが中で眼球が瞬きするような微かな動きが見られた時は少しほっとしました。

右側に麻痺があると言われていたように左目が先に薄く開くようになりやがて右目も少し開くようになる。

高熱のことが多く氷枕と両脇に氷嚢を挟むことが多い。
手術前に入れ歯は外したが左右の手の指輪がどうしても外せずそのままになっている。

2009年11月
11月になるころには両目が開きまばたきをするので何かの合図ではないかと思いいろいろ声掛けしてみるがはっきりとは分からない。
倒れる前にお気に入りだったCDをiPodに入れてイヤホンで聞かせると驚いたように両目を見開いた。

口からの人工呼吸器は感染症になりやすいとのことで喉の切開手術で喉からの人工呼吸器に変えられました。(11月11日)

彼女の友人が見舞に来るとちょっと笑顔のような表情を示すこともあるようになりました。

九州厚生年金病院は地域の中枢的な病院で急性期患者の治療を目的とするため11月も終りころになると転院を勧められました。
私には当てがなく、病院のソーシャルワーカーが提示するのは「大平(おおひら)メディカルケア病院」と「丘ノ規病院」の二院だった。大平メディカルケア病院の方が新しく設備が整っていそうだったのでこちらに決めて手配を依頼しました。
                                           転院前日の様子

声をかければ目を開けるが大部分の時間は目を閉じている。

発症以前の写真を枕元に掲示しておくと看護士さんが患者に話かける話題になって良いと聞いたので、はじめは孫を抱いている写真、後に友人と駅前で写った写真を飾る。