胃瘻(いろう)の問題

 昨日の葬儀の合間、母親を介護している方と立ち話している時「最近胃ろうが問題視されてますよね…」と触れられました。妻の胃ろうを造設したのは妻の友人のすすめから私もそうした方が良いと思ったので実施しましたが、最近報道機関でとりあげられるのを耳にして心の隅にトゲが刺さった思いがしていました。

 口から自力で食物が摂れない場合、鼻から経管で栄養注入するか胃ろうから注入しなければ生きていけないわけです。しかしそうした不自然なやり方で生命を無理やり延ばすのは本当に正しいあり方だろうか?と疑問が出されているのです。妻の場合も鼻腔からの経管栄養注入あるいは胃ろうからの注入がなければとっくに衰弱死しているわけです。
 意識のない植物状態(と思われている)患者の栄養注入を止めれば死ぬとわかっていて止めるのは医師にとっても難しい判断でしょう。患者の状況や家族の思いはケースバイケースでみんな異なっています。

 私も場合、じつは以前に気分が落ち込んでいた時、本気ではありませんでしたが妻に「一緒に死のうか?」と聞いてみたことがあります。これは妻の気持ちを知りたかったことが根底にありました。妻は即座に強く首を横に振りました。ひょっとしたら私と一緒にというのが嫌だったのかも知れないと思いましたが、それでも妻はこういう状態でも生きていたいという強い意志があるのだと理解しました。
 そういう経緯もあり、妻を可能なかぎり、どういう状態であっても生かしてあげたいと考えるようになりました。

 葬儀の時に立ち話した方とは時間もなくこういう深い話はできませんでしたし、この記事も目にすることはないでしょう。ただ、現在の私の胃ろうについての考えを記しておきたいと思います。